アフリカとの出会い35
アフリカの日々4 「私の理想の村・KINAGOP(キナゴップ)」
   

竹田悦子 アフリカンコネクション

 ナイロビから車で北上すること2時間。中央ケニアに属すKINAGOP(キナゴップ)という小さな村。土地が肥沃で農業が盛んで、羊やヤギを放牧する人も多く、牧歌的な村。開拓されてない土地が残り、まさに人類が足を踏み入れていない土地が多く残る場所だ。

 この村に住む友人を訪ねて出掛けた。お互い携帯電話もなく、手紙で約束をしていた。その日、私はナイロビでの仕事が延びて、その村への最終バスに間に合わなかった。しかし、連絡は取れない。仕方なく朝一番のバスでその村へ向かった。出発して2時間後、目的の村に到着した。

 バス停の前で、その友人&家族(お父さんお母さん子供3人)の合計5人で待ってくれていた。しかも、昨日の夜からだ。彼らの家は、待ち合わせのバス停から又別のバスで30分かかる。しかし彼らはその道のりを歩いてきていた。私は何度も何度も謝った。が、かえってくる言葉は「無事着いてくれてよかったのよ。本当に心配していたから」。その家には2泊したのだが、日々の隅々にアフリカ人らしい大きな愛情を沢山垣間見た。

 こんなことがあった。

 自転車が転倒して泥だらけになった私を、自分の服が汚れるのも気にしないで助けてくれたお父さん。そして一言、「泥だらけになった自転車もなかなかキュートだね!」いつも「笑う」ことを忘れない。
 ご近所さんまでの道をひたすら歩く。時には30分も歩く。もちろんアポなしなので、行って見たら留守なんてことももちろんある。何度がっかりしただろう。でも同行の友人は、「留守だね。また来よう」の一言だけ。「こんなにも歩いてきたのに」と、諦められない私に向かって、「君も同じだけ、いや、それ以上人をがっかりさせているんだろう。おあいこだよ」と笑う。 

 収穫した豆が風に吹かれて飛んでいった。一家が数ヶ月かけて育てた主食の豆にも拘わらず、「誰かのおなかが満たされますように」と祈りつつ見送った子供たち。

 立ち寄った売店では、子供にお菓子を買ってあげようとした私に店主が一言。「その金でお菓子じゃなくて、この鉛筆を買ってあげなさい。差額はいいよ」という。

 友人のお母さんは、なれない畑仕事を手伝った私に、そしてきっと迷惑でしかないその作業っぷりに、「本当に頑張りやさんね。神さまは見ているからね」と最高の笑顔を見せてくれた。そのお母さんにお肉をプレゼントして、今夜のおかずにして貰おうとお肉屋さんへ行って1キロの牛肉を買う。「お金はいいよ。そこのお母さん、いつも野菜をくれるから」と肉屋。

 そして地域の子供たちは、「歌を聞きにきてね」といってくれて、「好きな時間でいいからね」と言い残す。好きな時間に待ち合わせ場所に行くと15人の子供たち。歓迎の歌、友達の歌いろいろ笑顔で歌ってくれる。ずっと私の出現を今か今かとまっていたのであろう。

 もちろん、ケニアにも悪い人、泥棒、うそつき等一杯いる。外国人としていやな目にあうこともある。ケニアの農村は時間がゆったり流れているのでみんな焦ることなく優しいのではないかとも思った。しかし、私は今はそうは思わない。時間には関係なくここの人たちは優しいのでないかと思う。人々の人に対する大きな愛情。日頃の、ちまちましたことで怒ったり、怒られたりしていることって何なんだろうと感じる。そういう大きな大陸のような心を自分も持ちたいと思う。ほとんどのことは、「なーんだ、そんなこと」と心の底から思えるようになりたい。

 私はこの村では、生きること自体が人生の目的に値することなんだと知った。何かを成し遂げるとか、こういう人物になるとかというような目標を実現する事が人生の目的というのではなくて、「人生とは、今生きていることそのものが喜びである」と知った。

 そういう村を離れ、またナイロビのような都市に戻り、先進国日本に戻り、精神的な豊かさを忘れそうになる。村から遠く離れれば離れるほど、眉間にいつもしわを寄せているような生活ではなくて、心から人生の1ページを今日も謳歌しているような生活への憧れが強くなる。

 何もなかったケニアの農村。でもすべてがあったようにも思えた。

 そんな何もない村に魅せられて、私は2006年から少しずつこの土地を買っていった。2008年現在、いつの間にか4ヘクタールになった。近くに象が生息していることで有名なアバディア国立公園を臨むところだ。いつかここに住むことを希望しているが、いつになることだろうか。



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